はじめまして、ぼくは猫又です。
立派な二又の尾を持ったととさまと、妖力をもたない普通の猫であるかかさまとのあいだに生まれた猫又です。ぼくはまだ小さく、ととさまの半分も妖力を持っていません。なのでぼくの尻尾は先っちょのほんの少ししかふたつになっていませんが、おおきくなったらととさまのような立派な尾を持つ猫又になれるのだそうです。ぼくはそれをはじめて聞いたときとてもとても嬉しくて、かかさまが 待ちなさい というのも聞かずに雪で一面真っ白になった野原を走りまわり・・・・・・そして、ととさまとかかさまとはぐれてしまいました。
ひとりきりになるのは、これがはじめてでした。ぼくの近くにはいつだってととさまとかかさまがいて、それがいつもでした。ぼくは子ども扱いされている気がして、わざとかかさまの見えないところに隠れてみたり、ととさまの言うことを聞かなかったりしていました。だってぼくはととさまとかかさまの一人息子です、そんじょそこらの子猫と同じように子ども扱いされるのはなんだかとてもいやでした。それでもいつもはととさまたちに見つかってとてもとても怒られるのに、今日はととさまにもかかさまにも見つからず・・ぼくは初めて、本当のひとりぼっちになりました。
ととさま、かかさま。どこにいるのですか、ぼくが悪い子だからぼくをおいてどこかに行ってしまったのですか。ぼくがいつもいつも言うことを聞かないから、いやになってしまったのですか。・・ひとりはいやです、ぼくを置いてきぼりにしないでください。ひとりはさみしいです、ひとりはかなしいです。ととさまとかかさまに会いたいです、もういたずらもしません、言うことだってちゃんと聞きます。・・だから、だから。どうかおねがいします、ととさまとかかさまに会わせてください。おねがいします、おねがいします。
「・・・・・あれ、こんなとこにニャンコがいる」
「にゃに?・・ こんな雪の上では寒さで弱っているに違いない、どれ、いっそのこと私がぱくりと、」
ごちぃん、なにか硬いもの同士がぶつかったような音が聞こえて、ぼくはハッと目を開けました。雪野原の上で思わずうとうとしてしまっていたようでぼくはとてもびっくりしたけれど、それよりもずっとずっと驚いたのは人間がぼくを抱き上げたからでした。人間を見たのははじめてではありませんでした、かかさまにつれられて人間たちがたくさんいる町に行ったこともありましたが、そのときには あまり人間に近づいてはいけませんよ とかかさまに注意されていたので、人間に触れたのはこれがはじめてでした。その人間はぼくをそっと抱き上げて、「大丈夫か?」 といいました。・・ぼくはやっぱり悪い子なのかもしれません。かかさまにあれだけ言われていたのに、その人間の声が、てのひらが、やわらかな微笑みが、ぼくにはとてもとてもあたたかいものに感じて、どうしようもなく涙が出そうになってしまいました。
「苦しまぬよう一思いに食ってくれようという私の心遣いをよくも、」
「ニャンコ先生は黙っててくれ。・・もう大丈夫だよ、寒かっただろうね」
「・・・・・・おい夏目、よく見てみろ。そやつ、普通の猫ではないぞ。妖(あやかし)のにおいがする」
夏目、と呼ばれた人間はハッとしたようにぼくを見ました。ニャンコ先生、と呼ばれたとってもぶさいくな猫・・もしかしてぶたとか、おまんじゅうに化けた何かかもしれません、そいつはぼくのにおいをくんくんかいでそういいました。
「・・本当だ、尻尾がほんの少しだけど二又になってる」
「猫又の類だな。まだ幼いせいで妖力が少ないのだろう、まったく厄介なものを拾いおって・・」
おいお前、名は何という。ぶさいく先生がとても偉そうに聞いてくるのでぼくは内心おもしろくなかったけれど、夏目もそれを知りたがっているようなので、答えてやることにしました。
「・・・・・・・・・・聞き取れたか、先生」
「いや、にゃにゃにゃとしか聞こえんかった」
そんな、ぼくはちゃんと、ととさまとかかさまにもらった大事な大事な名前を伝えたのに。ぼくが一生懸命になって口を開けば開くほど、夏目は困ったように首をかしげて、やさしい色をした目をかなしそうに細めます。ととさま、かかさま。これはぼくが悪い子だからですか、だから夏目に言葉をつたえるほどの力もないのですか。ぼくはいよいよ悲しくなりました。鼻の奥がツンとして、目頭がじんと熱くなります。ととさま、かかさま・・・・・
「―――ごめんな、ちゃんと聞いてあげられなくて」
ぽろり。ぼくの目からこぼれ落ちた涙をそっとぬぐって、夏目は静かにそういいました。てのひらに抱き上げたぼくとまっすぐに視線を合わせて、とても寂しそうな顔をして夏目はそういいました。
「阿呆、お前が謝ってどうする。元はといえば、言葉を発するほど力のないこやつが原因なのだ」
「それでも、おれに伝えようとしてくれているのに。・・・ごめんな、ありがとう」
ぼくはその夜、夏目のお世話になることになりました。「もうすぐ暗くなるし・・今夜はうちにくるか?」 と言ってくれた夏目のほっぺたをぺろりとなめて、ぼくはみゃあとなきました。くすぐったいぞ、といった夏目はそれでもふわっと笑ってくれて、ぼくはとても嬉しくなりました。夏目の笑った顔はとてもあたたかで、やさしくて、きれいで、ぼくは夏目の笑った顔がとてもとても好きになりました。ととさま、かかさま。夏目はとてもやわらかく笑うひとです、とてもやさしいひとです。それから夏目のおうちへ行って、ぼくははじめてお風呂に入りました。これまでは泥だらけになるまで遊んでも、川や池のなかにざぶんと入ってばしゃばしゃしてぶるぶるするだけだったのに、人間ってとても面倒です。でもあたたかいお湯をかけてもらって、それだけでもとても気持ちよかったのに、夏目はぼくをあわあわにしてくれました。とてもいいにおいのするふわふわのあわあわ、夏祭りのとき、遠くから見かけたわたがしというものにとても似ていて、ぼくはこのあわあわを食べられるのかと思いました。夏目に 「これは食べちゃだめなんだ」 と少し慌てたように言われて、じゃああのとき人間の子どもが食べていたのはなんだったのだろうと不思議に思ったけれど、そんなのすぐにどうでもよくなりました。だってだって、本当にとっても気持ちよかったんです・・・・かかさまに知られたら、怒られるかな。
「・・・・・・・ム、もしやお前、白銀(しろがね)のとこの子どもか?」
お風呂あがり、「じっとしてろよ、」 という夏目の言葉を守るべく、じいっとして体をふいてもらっていたときでした。おまんじゅう先生がぼくの目をじっとのぞきこみ、くんくんと鼻を近づけてそういいました。白銀、というのはととさまの名前です、ぼくは先生がととさまの名前を知っていたことにとてもびっくりして、そしてそれよりもずっとずっと嬉しくなって、一生懸命みゃあみゃあと声を上げました。
「しろがね・・?」
「ああ、私ほどではないがかなり大物の妖だ。立派な尾を持つ猫又でな・・そうか、奴の子どもか」
ぼくはととさまやかかさまにするように、先生のつるつるふかふかな体にすりよりました。どこか遠くを見ているような、声にしっとりとしたやわらかさを混ぜた先生はぼくがそんな風にしても、面倒くさそうな顔をしただけで追い払ったりしませんでした。ととさまに話をしよう、先生の話をととさまに・・・・・・
「どうしてそんな大物妖怪の子どもが、あんなところにひとりだったんだ?」
会いたいです、ととさま、かかさま。いっぱいいっぱい話したいことがあるんです、ごはんも食べさせてくれました、お風呂に入れてもらいました、たくさんたくさんやさしくしてもらいました。夏目の話をしたいです、先生の話をしたいです。ととさま、かかさま・・・・そんなことを考えていると、目の前にあった先生の顔がぐにゃぐにゃになって、ぼくはあっという間に泣き始めてしまいました。
「・・大丈夫、心配しなくてもいい。きっと会わせてやるから」
「――夏目、お前はまた面倒ごとに首を突っ込む気じゃあるまいな」
「だって、このまんまになんて、しておけないだろ」
ごめんなさい、夏目。ぼくを抱き上げてそおっとなでてくれる夏目の手はとてもやさしくて、あたたかくて、心配そうにぼくをのぞきこむ夏目のことが大好きなのに、それでもぼくは今、ととさまとかかさまに会いたくて会いたくて仕方ありません。夏目がぼくにやさしくしてくれればくれるほど、ぼくはととさまに会いたくなります。夏目が大丈夫だよ、と言ってくれればくれるほど、かかさまに会いたくなります。ぼくはとてもよくばりな猫又です、よくばりでわがままな悪い子です。ごめんなさい、ごめんなさい夏目、ぼくは夏目にそんな顔をさせたくないのに、ぼくは夏目の笑った顔が好きなのに・・・
ぼくはその日、夏目と先生のあいだで眠りました。泣きつかれてうとうとし始めてしまったぼくを、夏目はそっとそこに寝かせてくれました。おふとんのなかは冬なのにとてもあたたかくて、まるでととさまの尻尾に包まれているような・・・またじわりと泣きそうになってしまったぼくを夏目がやさしくなでて、先生はあきれたようにため息をつきました。
「フン、そんな泣き虫のままじゃ、お前のおやじのような妖にはなれんだろうな」
「・・・っ!」
「先生。・・いいんだよニャン太、泣きたいときには泣いていいんだ」
「・・・・・・おい夏目、なんだその ニャン太 というのは」
「名前だよ、聞き取ってあげられなかったけど、ないと不便だろう?」
「・・・いつもいつも、お前のネーミングセンスは最低だな。高貴で優美なこの私を ニャンコ 呼ばわりしたときにも思ったが」
「うるさいぞ、デタラメだいふく猫」
「にゃにおう?」
・・ぼくはそんな、夏目と先生の話をききながら眠りました。ぼくにはととさまとかかさまにもらったちゃんとした名前があるけれど、夏目がつけてくれたのならニャン太も悪くないなぁ。「・・おやすみ、ニャン太」 おやすみなさい、夏目。おやすみなさい、先生。おやすみなさい、ととさま、かかさま――・・
ととさまが迎えに来てくれたのは、次の日の朝早くでした。夏目に揺り起こされて起きたぼくは、窓の外、屋根の上にすわるととさまを最初、夢だと思ったくらいでした。ぼくたちの住む山のかげから朝日がゆっくりとのぼりはじめたころ、だんだん明るくなる空の下にいる大きなととさま。ととさまはその名前が示すとおり、降り積もった雪のようにどこまでも真っ白な毛皮を持っています。朝の太陽のひかりを受けてきらきらするととさまは、ぼくのじまんです。
「久しぶりだな、白銀」
「その声、斑か? ・・・・・随分と情けない姿になりおって」
「フン、自分の子の面倒も見きれておらんお主には言われたくないわ」
大きなととさまは小さなととさまの姿に化けて、夏目の前にすわりました。・・ととさまもかかさまも、人間のことをあまり好いていません。だからぼくはとても心配だったけれど、そんな心配はぜんぜん必要ありませんでした。ととさまは夏目にぺこりと頭をさげたのです、ぼくはそんなととさまを見たのは初めてで、ものすごくびっくりしました。でもそれは夏目も同じだったようで、夏目は目をまん丸にしていました。
「ありがとうございました、夏目殿」
「そんな! おれはお礼を言われるようなことは何も、」
「夏目殿のおかげで、うちのチビは寒さに凍えずにすんだのです。・・礼ぐらい、言わせてください」
「白銀・・・。――こちらこそ、とても楽しかったよ。ありがとう」
ねぇ、夏目。ぼくはまた、あそびに来てもいいだろうか。夏目に会いに来てもいいだろうか。いっしょにごはんを食べて、お風呂に入って、しあわせな夢を見てくれるだろうか。ねぇ、夏目。ぼくがもうちょっと大きくなって、ちゃんと夏目にも言葉を伝えられるようになったら、ぼくの名前を呼んでくれる? おやすみとおはようを言ってくれる? ・・ねぇ、夏目。ぼくは夏目が好きだよ、人間のことはよくわからないけど、ぼくは夏目が好きだよ。夏目もぼくを、好きになってくれるかなぁ。
「・・きっと次があるから、さよならは言わないよ。ニャン太」
―――また、今度。
子狐が好きです・・あ、読めばわかりますか。モテモテな夏目が書きたかった、夏目好き好き!なのに喋れない子どもと夏目が書きたかった、そして天然タラシな夏目が書きたかった、そんな願望のままに突っ走った 「しあわせの夢」 でした。こんなに 「好き」 という言葉を多用した上に、大好きというオーラを出しまくったキャラクターがいるのを書いたのは初めてでしたが、しかもそれが子どもだということもあって超絶楽しかったです。「ととさま」「かかさま」 という呼称を思いついて使わずにはいられませんでしたが、文章にするには不適切だったかもしれないと反省しつつ・・夏目友人帳という作品に少しでも興味を持っていただければ幸いです。