昨晩、私はとある戦いに身を置いていました。場所は我が城、本丸にまで敵の侵入を許すとは不本意極まりないですが、網戸をくぐって入り込んできたものは仕方ありません。ヤツの侵入に気が付いたのは、フタマルマルマル(20:00)のことでした。一週間後に迫ったレポート提出と、酵素化学のテストからの逃避に全力を尽くし、カラフル執筆に勤しんでいた私の耳はしかし、ヤツの羽音を聞き逃さなかったのです。ヤツが発する低い唸り声は、確かに何か薄っぺらいものが振動して擦れあう音に違いありません。・・・正直に言いましょう、私はヤツらが好きではありません。キチンのホモグリカンからなる硬い甲殻に包まれたヤツらの仲間なら問題ありませんが(小学校の時分は、飼育もしていました)、例えば暑い夏の日にその暑さを強調するミンミンうるさいヤツのような形態をしているのは、大嫌いです。繰り返しましょう、大嫌いです。黒くてテラテラぎとついた、長い2本の触角が有名なゴからはじまる4文字のあれよりはまだましですが、けれど張り合えるくらい嫌いです。翅が擦れあう音といい、ふらふらと覚束無い飛び回り方といい、光に集まる習性といい、ああああ考えただけで鳥肌が立ちます。人が感じる嫌悪は多くの場合、人間がほとんど本能的に抱く 「危険」 と深く結びついています。痛いことが嫌だ、臭いものが嫌だ、気持ち悪いものが嫌だ・・・今回の場合、私にとっての嫌悪は恐怖に由来しています。過去に恐怖体験をしたわけではありませんが、全長が1センチを超えたら恐怖以外の何者でもありません。昨晩私はそんな、全長2センチに及ぶヤツと遭遇してしまったのです。ヤツを見つけたとき、私は心の底から恐怖しました。到底無視できるレベルの大きさではないことと、ヤツを撃退する武器が我が城には存在していない事実を一瞬にして悟ったからです。そんな私の愕然とした心境をものともせず、ヤツは室内灯の周りを羽音を唸らせながら飛び回っています。嗚呼、何たる恐怖! とりあえずアースノーマットの電源を入れますが、それはあくまでも5ミリ以下のサイズの敵を想定したものであって、ヤツを撃退するに足るとはとても思えません。しかし、確実に溺れるものは藁をも掴むのです。しかし私が掴んだものは、藁ではなく木の枝でした。時刻は既にマルマルイチマル(00:10)、ヤツは白い壁に止まり、その翅を休めたのです! チャンスだ、私はそう呟きました。声に出したのはなにも私が痛い子だからというだけではなく、自分自身を叱咤するためでもありました。自分の声を自分の耳に捕らえ、私はティッシュを一気に3,4枚抜き出して立ち上がります。・・・・チャンスはこの一度きり、この機会を逃せば逆ギレしたヤツがこちらに攻撃を仕掛けてくるとも限りません。そうなればパニックです。大惨事です。仕掛けるからには着実に、確実にその息の根を止めねばならぬ。何があろうと決して、私はヤツを逃してはならぬ。やらねばならぬ。・・・私は心を決めました。
「ゴメンなさいゴメンなさい大切な命をぐしゃって潰してゴメンなさいでも怖いんですマジ怖いんです虫とか私ほんとダメなんです許して私あなたの分まで強く生きるから!」
・・・・・・・私は確かに、勝利したのです。
<わたしの4時間戦争 序章・完>
続きません。